Racing Diary 2004's Race

ル・マン24時間耐久レース

2004年4月3~4日 フランス ル・マン

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速報!
北川圭一、ル・マン24時間耐久レースで優勝!日本人として初の快挙!

北川 今期5勝目!

  いつもお世話になっています。ケンツMOTUL-SUZUKIの北川圭一です。このメールは今シーズンの全日本選手権ロードレースの、僕の参戦レポートです。レース出場のたびに、みなさんにレポートの形でお知らせしていこうと思っています。

  今シーズンの全日本選手権は、3月28日に開幕しましたが、その前に皆さんにお知らせすることがあります。もう、ご存知いただいているかもしれませんが、全日本開幕の翌週、フランス・ブガッティサーキットで行なわれた「ル・マン24時間耐久レース」に出場し、なんとなんと、優勝してきました!

  全日本開幕を、3位というちょっともったいない結果で終わってすぐに、休む間もなく僕はフランスへ飛ぶことになりました。スズキフランスが母体となって運営されている、歴史ある耐久プロチーム「スズキ・エンデュランス・レーシング・チーム」(=以下SERT)からオファーをもらって、「ル・マン24時間耐久ロードレース」に出場するのです。

  このオファー、実は僕がスズキワークスチームからケンツに移籍し、GSX-R1000に乗り始めた2001年シーズンくらいからもらっていたものです。ですが、全日本のレース開催と日程がぶつかっていたり、せっかく時間を作っても1レースしか出られない、というようなスケジュールになっていたため、残念ながら実現することはありませんでした。

  でも僕は、実はずっと出たいと思っていたんです。なんと言っても海外のレースだし、ヨーロッパというレースの本場で、GSX-Rで耐久レースに出られて、しかもそれが24時間耐久。いつかチャレンジしたい、とずっと思っていました。

  それがいよいよ実現することになりました。3月中旬には一度フランスへ行って、実際のコースでテストもしてきました。でも、3月のフランスって、寒いんですねぇ……気温が3度くらいしかないコンディションだったんですが、でも実際にコースを走ったのは、レースに向けて大きな武器になりました。

  マシンはもちろんGSX-R1000。でも、レギュレーションでエンジンはノーマルと決まっていて、車体まわりはキットパーツや型遅れのワークス用サスペンションやスイングアーム、という仕様。いつも乗っているケンツのマシンと比べても、パワーがぜんぜんなくて、すごくラクにコントロールできるマシンでした。なんたって、どれだけガバッとアクセルを開けたって、転ぶ気がしない。24時間を走りきるために、とにかくノントラブルでコンスタントに走ろうとすると、やはりノーマルに落ち着くのかもしれません。

  チームはSERTの「スズキ・カストロール・チーム」のナンバー2チーム。ナンバー1チームは、世界耐久にも出ているレギュラーチームで、もちろんここがメインチーム。僕らのチームは、僕のほかに、藤原克昭のチームメイトとしてワールドスパースポーツに出場しているステファン・シャンボーンと、鈴鹿8時間耐久にも出場経験のある、今年はワールドスーパーバイクに参戦しているワーウィック・ナウランド。どちらも顔はもちろん知っているけど、やっぱり組むのも話すのも初めて。3人の初顔合わせもレースウィーク、というあわただしさでした。

  身長も体重も、乗り方もバラバラの3人。だから、マシンのセッティングはナンバー1チームのベースセッティングで用意してもらって、あとは個人用にちょっとアジャストするだけ。シャンボーンなんて、僕より20cmくらい小さいんだけれど、セッティングに特に注文はナシ。決勝前に、ハンドルを3mmだけ絞らせてくれ、って言ってきたくらいでしたから、それでアッという間にいいタイムを出してしまうんだから、すごく器用なライダーだ、という印象でしたね。

  僕は第2ライダー。予選では、僕の走行時間に雨が降ってきてしまってキチンとタイムアタックできなかったんですが、それでも56チーム中4番手グリッド。決勝スタートライダーは、予定ではシャンボーンだったんですが「オレは足が届かないから」って(笑)、急遽ぼくに回ってきました。僕も足に古傷があって、全力でダッシュできないんですが、それでもいいというので、ホンモノの「ル・マン式スタート」をやってきました。なかなかでけへん体験ですよね。

  超満員のグランドスタンドの大観衆に見守られてスタート。ちょっとダッシュに失敗しましたが、5-6番手でレースをスタートしました。トップはSERTの1号車、2番手にカワサキ、僕は3番手で周回。レースはとにかく無理だけはしないように、と自分に言い聞かせて走っていました。特に1回目の走行は、絶対に転ばないように。24時間という長丁場ですが、それでも最初の走行で転んだらレースになりませんから。

  30分を過ぎたあたりで2番手に浮上。さぁトップまであと4秒、と思ったら、コースに雨。ひょっとして止むかもしれない、と少しスリックのままガマンして走っていたんですが、他のチームは早々とピットに入り、タイヤ交換。結局僕がピットに入ったのは、ほぼ最後。結局45分経過あたりでピットに入ったんですが、ガス給油をしてタイヤ交換をしたら、なんとそのまま走れという。雨のこのポジションをキープしたいし、スタートしたてのこの時間帯なら、まだ体力も大丈夫だろう、という判断だったみたいです。

  結局、ライダー交代したのはピットアウトから1時間後。なんと1回で、1時間45分も走りましたよ!順位は3番手だったんですが、SERTの1号車にどうしても追いつかない。どうも向こうは、ウチよりいいレインタイヤで走ってたみたいでした。でも、24時間の長丁場なんだからと、とにかく焦らずに走るように気をつけて走っていましたね。ちょっと前との差がつまらなくても、レースは8耐の3倍。焦る気持ちも、8耐の1/3で済むかんじでした。

  ライダー交代して、シャンボーンとナウランドのふたりは、さすがに耐久を知り抜いているらしく、淡々としたペースで走っていました。トップに逃げられ始めていたので、もうちょっとペース上げんかい、というくらい。2人は1時間ずつ走って、僕の2回目の走行がやってきました。

  コースインしたら、SERTの1号車、ヤマハの94番車が続いてウチは3番手。さぁやったるで!と思ってコースインしてしばらく、やっと94ヤマハに追いついた、と思ったら、周回遅れの集団につかまってしまって、ブレーキングで行き場を失ってコースアウト。こっそりひとコケしてしまいました。でもマシンにダメージはないし、そのまま走行。このあと、1分39秒96というこのレースのベストラップをマークしました。これは、ル・マン24時間の歴史の中で、2番目のタイムだったそうです。

  この走行は1時間で無事終了。3番手で、またシャンボーンにバトンを渡しました。このあたりでは、僕が順位を上げてふたりにバトンを渡すと、二人が順位を下げて帰ってきて、次に僕がまた追い上げる、という繰り返し。でもまぁ、それが24時間耐久なんだと、とにかく焦らないように走りました。

  ライダーのスケジュールは、1時間走って2時間休憩が基本。さすが耐久の本場らしく、ライダーのケアも万全で、ピット裏にはライダー休憩用の個室があるトレーラーも用意されています。走り終わったら、マッサージを受けて、意識して横になるようにはしていましたね。さすがにレース中ですから、気が高ぶってなかなか寝ることはできませんでしたが、それでも2回ぐらい、30分くらい寝ることができました。レース中に寝るなんて、初めての経験でした。

  その後もレースは、ずっとSERTの1号車がトップで、2番手が94番ヤマハ、そこにウチが3番手、という順位。でも、開始12時間――つまり深夜の3時ごろ(!)にまた雨が降り始め、トップを走っていた1号車が転倒! 耐久レースの恐ろしさを感じました。

北川圭一 ル・マン

  ちょうどその頃、ライダー交代のタイミングで僕の番だったんですが、夜中だし、雨だしということで、休んでおくように、という指示が出ました。ちょうどその時に走っていたナウランドが2時間連続走行をしてくれて、少し雨が小降りになってから、明け方に2番手でコースインすることになりました。ナウランド、ちょっとかわいそうでした。

  トップは94番ヤマハ。またレインの走行でしたが、今度は1回目のレインの時に、1号車が履いていたタイヤで走ることができて、ばんばんタイムアップしてトップに迫ることが出来ました。多分1周につきトップより5秒は速かった。1時間の走行を終えた時点でほぼ追いついて、ピットに入ることになりました。

  ここで監督が、マシンを降りようとする僕に言ってきました。

「ケイ、勝ちたいか?」

もっちろん! ここまできたら、優勝しようじゃない!

「じゃぁもう1時間行って来い!」

  なんと、また2時間連続走行です。でも、これも優勝のため。2時間走るなんて、耐久でもテストでも経験ありませんが、ノーマルエンジンの穏やかなバイクだからか、意外と体が動くし、そう極端にタイムも落ちないで走れます。

  そして、94番ヤマハをパスしてとうとうトップに立つことができました。残りはあと3時間半。30秒ぐらいリードでシャンボーンにバトンを渡して、とにかくヘロヘロでマシンを降りました。乗っているときはそうでもなくても、やはりマシンを降りたらドッと疲れが来ました。

 

  この後は、チームの作戦は完全に優勝狙いモードに切り替わり、94番ヤマハと同一集回数で争っていたこともあって、残り3時間半の走行配分決めなおしたのです。当然、ここまでペースを引っ張ってきた僕が多く走って、シャンボーン、ナウランドの順で時間を減らしていくのです。だから、僕の次の走行は、1時間半の休憩の後、残り2時間のパート。この時点でもヤマハとは同一周回数で、もう一歩も引けない。でも、さすがにこの頃には僕の疲労もピークで、展開によっては残り全部走る、という気持ちで臨みました。

 「トップ争いをずっとしているなら、僕が全部走ります。でもどうなるかわからない」

  そう言って、残り2時間のコースへ。この時点で約1分のビハインド。でも、気持ちは切れていなくとも、体がいうことを聞かないんです。このレースで初めてこういう状況になってしまった。タイムが上がらないんです。なので、2時間走るよりはキッチリとペース配分をして、1時間をフルに走ろう、と決めました。

  いうことを聞かない体にムチを打って、1分あった差が15秒しか縮まらない。僕の1時間はもうすぐ終了、でも…ピットサインで出ていたトップとの差が、いつの間にか出なくなってしまったんです。

  1時間を走って、もうムリ、と思いながらピットへ。そうしたら、なんと94番ヤマハは、マシントラブルでピットに入ったというじゃありませんか。…てことは、トップ? いよいよやっと、残り1時間でトップに立ったんです! やっぱり耐久レースは恐ろしい!

  シャンボーンにバトンを渡して、そのままコンスタントに走ってゴールへ。24時間で793周を走って、僕のチームがまっさきにチェッカーを受けたのです。シャンボーンは、ゴール直前に十分スピードを落として、リヤタイヤをスピンさせながら左手を天に突き上げてフィニッシュ。いやぁ、あの瞬間はカッコよかった!

 

  結局、24時間のレース中で10時間以上を僕が走って、なんとなんと優勝することができました。日本人ではもちろん初めてで、24時間も、本当にシンドかったけれど、本当によかった。長かったし、終わったときはホッとしたのが正直なところですが、だんだんジーンときてしまって…ちょっと泣いちゃいましたね、感動して。レースで勝って泣くなんて、初めてのことです。だって、午後3時から走り始めて、翌日の午後3時まで走ってるんですから、そりゃ長いですよ。

  今回は、本当にいい経験ができました。ロードレース発祥の地で、しかも耐久レースの本場の伝統ある24時間耐久。ライダーのケアもシッカリしていて、さすがプロの体制だな、とは思いました。チームのみんなでやったやったと喜んでいたら、監督が

 「ケイ、9月のボルドールもたのんだぞ!」

  って。もう、ちょっとすぐそんな話せんといてよー(笑)。でもまぁ、9月には今度は、ボルドールの24時間耐久に行ってまいります。

  あらためてレポートを出させてもらいますが、本職の全日本も、開幕戦と第2戦がおわりました。第2戦のオートポリスではちょっとミスして転倒リタイヤに終わってしまいましたが、マシンもかなり煮詰まってきました。ル・マンで得た勢いを大事に、これから先のレースもがんばっていこうと思います。

  やっぱり8耐にも、この結果を持ち込みたいですからね!

2004年4月
北川圭一

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